Classic [HEADZ239]
Pot-pourri
HEADZ
2019-10-25


 今回はPot-pourriのアルバム作品である「Classic」についてディスクレビューをしていきたいと思う。

 Pot-pourriはP-MODEL、THE CURE、スピッツ、LUNA SEA、THE NOVEMBERSなどといったバンド群に影響を受けており、ゴシック/オルタナティヴ・ロック/ニューウェイブ/J-POPなど様々な要素を昇華した音楽性が特徴であり、若手ながらも卓越したセンスと演奏力を併せ持ち、独自の存在感を築き上げているバンドだ。

1.Cerulean

 
 イントロから穏やかで響きが豊かなアコースティックギターの音色と、エレクトロニカのバウンスするような音の調べに包まれていくのがなんとも心地よい。

 中盤のアコースティックギターを掻きむしるような激しいプレイは圧巻であり、穏やかな曲調だからこそ強烈なスパイスとして機能していることが分かる。

2.Kankitsu
 

 Pot-pourriが自らの音楽性を”アブストラクト・ポストパンク”と称する理由が、この曲に特に表れていると感じる。バンド全体での大胆なまでのリズムアプローチはかなりインパクトがあり、聴き終えた後もしばらく耳に残る。

 ボーカルのSawawo氏の包み込むようなボーカリゼーションと、拡散するような広がりをみせるリヴァーブの処理がこの曲の雰囲気を危うげなものにしていおり、時折挟まれる電子音やノイズが楽曲の世界観をより強固にする役割を果たしているのも面白い。

3.Lempicka

 ジャズを感じさせるようなピアノの音色と、それに巧みに絡み合うベースラインがアダルトな雰囲気を醸し出している。

 途中で入るアコースティックギターのプレイや、突如無音になる部分は音の情景をガラッと切り替える役割を果たしている。ここまでの切り替わりがあると、まるで1曲の楽曲ではなく1本の映画を見ているかのような感覚に陥ってしまう。

4.Revolver
 

 優しいアコースティックギターの響きと、浮遊感に溢れた電子音のサウンドの渦にどこまでも飲み込まれてしまいそうになる。

 Sawawo氏のささやくような歌声も幻想的な感じをより強めており、さながらPot-pourri流のドリームポップとでも言うべきだろうか。むしろここまでの聴き心地の良さだと、ヒーリングミュージックの域に達している気もする。

5.Berceuse

 素朴なアコースティックギターのアルペジオから始まり、それに追従するように各楽器のフレーズがだんだんと折り重なっていきバンドサウンドが構築されていく。

 楽器の演奏が折り重なっていくことで、展開とともにバンド全体のサウンドがだんだんと彩りを増していく姿には圧倒的な構築美を感じる。

6.Absinthe

 骨太で印象的なベースラインから幕が開ける。やたら前のめりでパンキッシュなドラムはアルバムの中では珍しいアプローチになっている。

 Sawawo氏のボーカルに強い歪みのエフェクトがかけられている。艶のある歌声も相まって、彼の音楽的バックボーンの一つである90年代のビジュアル系バンドの影響が垣間見える。
 
7.Nocturne

 爪弾かれる優しいアコースティックギターの音色を聴いていると、だんだんとリラックスしていくような作用を感じさせてくれる。芯が太く輪郭のあるベースの音も大きく前に出ており、楽曲のボトムの部分を強く支えながらもメロディアスなフレーズが印象的だ。

 どこか遠くで鳴っているような反響の強いドラムの音も聴き心地が良い。改めて細部に至るまでサウンドディレクションが行き渡っていることが確認できる。

8.Silkworm
 

 「Classic」の中で最もスタンダードなバンドサウンドが鳴らされている楽曲ではないだろうか。とにかく乾ききったスネアの音が気持ちいい。

 この楽曲においても、素朴なアコースティックギターの音色が豊かに響き渡っており、派手なサウンドを使わずとも確かな説得力を持たせることに成功している。

 楽曲後半にて聴けるフェミニンなコーラスワークが、より静かさを感じさせるような効果を持っているのもこの楽曲の大きなポイントだろう。

【総評】

 全編を通して鳴り響くアコースティックギターの音色、効果音的に使われる電子音、曲ごとに表情を変える艶のあるボーカル、変則的な楽曲の展開、どれもPot-pourriを構成する上で必要不可欠なファクターだ。

 独創的な面が目立つが、聴きやすさや取っ掛かりやすさを各楽曲がきちんと持ち合わせており、彼らが単なる個性派という言葉で収まるような存在ではないことを知らしめている。

 レビューの冒頭で記述した通り、彼らは非常に多くの音楽的な要素に影響を受けている。しかし、それは安直な焼き直しなどではなく、自らで取り込んでより高い次元へ昇華して、確実に自分たちのものにしているのだ。彼らの前では音楽的な区分けなど意味のないものなのではないかと、作品を聴き終えて改めてそう感じたのだった。